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●出発から帰国までのスケジュール
大学を卒業して、就職しなくてワーキング・ホリデーを決断 「世界を見るぞ!!」
東海道53次を歩いて京都まで行く。大阪から船で台湾へ(とにかく、日本を出るときは船と決めていた)
台湾のラーメン屋で3ヶ月間仕事をする。
香港、中国、シンガポール、マレーシアと旅をしてパースに到着
日本の鮪船の船員相手の店で働くことになる。 シェアメイトは、港の女? 船員さんがリビングに居ることも!!
オンボロ車で大陸横断、相棒は今の奥さん。
牧場で2ヶ月ほど滞在。働く代わりにただで宿泊と食事を提供してもらう。
ニュージーランドへ渡り、1ヶ月間かけてのヒッチハイク旅行(これも奥さんと)
ダイビングの資格を取ったり、エアーズロックまで旅したりとオーストラリアを堪能
パースに戻り、再び船員相手の店で働く。
ビザを取ってあげる店のオーナーから言われ、その気になるがビザは取れず。
帰国後
社団法人日本ワーキング・ホリデー協会でカウンセラーとして働くことになる。 オーストラリアに仕事で行きたくて、オーストラリア誕生の旅行会社へ転職
オーストラリアに年の半分住めるようにとオーストラリアに年の半分住めるようにと、自分でオーストラリア旅行専門の旅行会社・株式会社オズ・プロジェクトを設立。
●オンボロ車でのオーストラリア大陸横断
僕のワーキング・ホリデーの一番の思い出は、1000ドルで購入した黄色のミニクーパーのバンでパースからシドニーの手前にあるゴールバンまでの大陸横断ドライブをしたことである。車検制度が無かった西オーストラリアでは、いい加減な車が多い。このバンも、スピードメーターが動かず、クラックションがならず。極めつけはブレーキが利かず修理工場のシャッターに衝突して止まったこともあった。そんなポンコツカーで、同じ土産屋で働いていた女の子(今の奥さん)を隣に乗せて、ひたすら一本道を東に向かって走った。
●キャラバンパークを探してテントを張る。食事はいつもキュウリを挟んだサンドウィッチ
午後3時ぐらいになるとキャラバンパークを探してテントを張る。食事はいつもキュウリを挟んだサンドウィッチだった。たまのご馳走は、チャイニーズに入って食べるチャーハンと焼きそば。あの頃は本当に質素だったな!! 満点の星空の下、空を見ながら寝たこともある。遠くから先住民アボリジニィの騒ぐ声を聞きながら、震えて眠ることもあった。ナラボー砂漠ではガソリンスタンドが300キロも無い場所があるので、常にガソリンの予備タンクを車に積んでいた。
●道路に溜まっている水を飲みに来ているカンガルーの集団に出会った
雨が降った後に、道路に溜まっている水を飲みに来ているカンガルーの集団に出会ったこともある。ハネムーンでキャラバンパークにいたアデレードのカップルと仲良くなり、彼らの家に泊めてもらったりもした。この車での旅は、ゴールバンの交差点を右折使用とした際に、ギヤが壊れてしまい動かなくなり、終わってしまった。
●現在、オーストラリア専門の旅行会社を経営。 お客様にはキャンピングカーを利用しての旅をお勧めしている
僕は今、オーストラリア専門の旅行会社を経営しているが、お客様にはキャンピングカーを利用しての旅をお勧めしている。キャラバンパークには、多くのオーストラリア人が滞在している。リタイヤしてオーストラリア一周している老夫婦や、子供連れの家族など。
彼らと触れ合うには、いい場所である。僕も家族を連れていつかオーストラリアのキャラバンパーク巡りをしたいと考えていたが、上の息子は高校2年生。もう一緒に旅をしてくれない年代になってしまった。寂しい!!! 最後はやっぱり、奥さんと二人で思い出の地オーストラリアで、キャンプをしながら旅をしたい。
僕にとってのワーキング・ホリデーは現在の僕の仕事と家庭に大きな影響を与えてくれた。 今日の僕があるのは、ワーキング・ホリデーでオーストラリアに行ったから!!
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