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〈病院での3か月間のインターンシップ活動〉
Y.Hさん(当時25才、女性)
●カノサ病院でボランティアが始まった
7月17日(月)カノサ病院(Canossa Hospital)でのボランティアが始まった。天気は快晴であり、心地好い朝を迎えたのを覚えています。私はドキドキしながら、バスに乗り、カノサ・ホスピタルへ足を運びました。病棟に着くとナースの人達が忙しそうに働いていました。
私の担当ナースが決められ、彼女は英語でゆっくりと仕事の方法、物品の場所、患者さんの名前を説明してくれました。また、私にとって分からない単語を尋ねると、紙に書いて教えてくれました。その時の病院の雰囲気、ナースの態度から非常に良い印象を持ち、内心ホッとしました。
●仕事の中で日常英会話が勉強できた
その日から約1週間は無我夢中で働きました。その頃の私の英語力は、殆ど無に等しかったと思います。しかし、病院の雰囲気やベッドの作り方、患者の移動方法など、日本とあまり変わらなかったため、仕事内容に対してはすぐ理解でき、スムーズに仕事を行うことができました。そして、その中で日常会話を勉強することができたので、非常に恵まれた環境に身を置くことができたと思っています。
仕事を始めて2週間程経った頃からは、特に担当のナースについて仕事をするという ことが無くなくなりました。そのため、私は自分で必要な仕事を見つけて、動かなければならなくなりましたが、以前の病院での経験を活かすことができたので、さほど苦労はしませんでした。ただ、1人でベッドを作る、おむつをたたむ、といった仕事を1日中行っていると、スタッフとの会話が減るため、できるだけ患者の清掃時や移動時など、ナースと一緒に混ぜてもらうよう心掛けました。そんな私をスタッフの人たちは快く受け入れてくれました。
●スタッフの親切は一生忘れない
ゆっくりと英語で話しかけてくれ、少しでも会話ができると、自分のことのように喜んでくれたり、日本から一人できたから寂しい日々を送らせてはならないといって、ディナーやパーティー、映画等に誘ってくれました。スタッフの人たちにとって、私は自分の子供 のように大切だといってもらったことを私は一生忘れないでしょう。
日々が経つにつれ、カノサ病院へ行って働くことが、私にとって、何よりの喜びに変わっていきました。1階の患者は約半分が痴呆、アルツハイマーの人々です。時々、人をたたいたり、爪を立てたり、大声を出して騒ぎ立てるといったこともあります。しかし、殆どの人は日常の挨拶程度の疎通は取れていました。働き始めた頃は、彼らの言葉がはっきりと聞き取れなかったり、英語ができなかったこともあり悩んだりもしたが、段々と理解できるようになり、会話の疎通もとれるようになっていきました。私にとっては、非常に良い勉強の場であり、良い経験をすることができました。
●教科書では学ぶことのできない実学
この病院は患者がターミナルであっても、積極的な治療を行わないため、月に2〜4人の患者が静かに亡くなっていました。最先端の医療の中で生きてきた私にとっては、医療、看護の正反対の一面を見ることができ、ナースとして、良い勉強になりました。加えて、人生経験を積んだ看護婦の患者への接し方、人種の尊重、優しさの表し方等に触れることができ教科書では学ぶことのできない実学を学び取ることができました。
遠い昔、ナース・フローレンス・ナイチンゲールが「看護に国境は無い」と言ったその言葉を実感できたように思います。
●病院のスタッフが送別会をしてくれた
10月24日(火)最後の日、朝から非常に悲しかった。
スタッフの人たちに、このままこの病院にいなさいと言われたり、寂しくなるといって泣いてくれた人もいました。そして私に内緒で送別会を企画してくれました。嬉しかった。忙しい時間にもかかわらず、皆が集まってくれたことを、心から感謝しました。あっと言う間に3か月が過ぎ、カノサ病院で過ごした日々を思い起こすと、涙が出る程素敵な日々であったことを思い出します。
ボランティアとして働いている間、何人もの人が私にこう尋ねました。「なぜ、ボランティアで毎日働きにくるの?」と。私は「ただ、カノサ病院の人々に会いたくてきている」と答えていましたが、それは事実でした。
ボランティアは何の保証もないし、無償です。しかし、自分が嬉しいと思える“何か”があれば、続けていてやり甲斐もでてくると共に学びも喜びも大きいのだと実感します。私の場合、お金では買うことのできない貴重な体験と出会いを得ることができました。また、ナースとして、客観的に看護職ナースとしての自分を見つめ直すこともできました。人間、看護、精神に触れられたように思います。
●オーストラリア行きは大きな賭けでした
オーストラリアに来て約5か月、このような充実した日々を送ることができるとは考えていませんでした。日本の病院を辞めて、オーストラリアに来たことは、私にとって大きな賭けでもありました。たくさんの方々の支え、導きのお陰で、オーストラリアで充実した日々を過ごすことのできた私が存在すると思っている。感謝しています。
人生でやるべき仕事を手探りで捜している今カノサ 病院での3か月間の経験を糧として、また、次のステップとして進んでいきたいと願っています。
●4人のオーストラリア人と共同生活
カノサ病院での3カ月間のボランティア生活の中で切り離せないのがフレンドシップ・ハウスでの生活であった。フレンドシップ・ハウスは何らかの原因で、家で生活のできない人たちを、本人が自立できるまで安い費用で受け入れているところだ。カノサ 病院でボランティアを始めた当初、病棟の婦長さんからこの家を紹介された。その頃、手頃な家を探していたので、病院から近いその家で住むことに決めた。
室内は思っていたよりも広く、生活に必要なものはすべて揃っていた。私にとっては、非常にありがたくこの場所は受け入れられた。私がそこから引っ越した時は、オー ストラリアの18歳の女の子が一人で住んでいた。それから、2カ月弱、2人だけの生活が続いた。彼女は非常に親切で、日常生活において何のトラブルもなく日々が過ぎた。また、自分のペースで仕事ができたので、ボランティアをするにあたり日常生活が重荷になることは無かった。
約2カ月過ぎた頃から、3人新しく入居し、計5人での生活が始まった。5人集まると家の中に大きな社会が出来上がるのは言うまでもない。そして、すぐに家の中の仕 事の分担が割り当てられ、新しい雰囲気が作りだされた。
以前、オーストラリア人と別の日本人と私とで部屋をシェアーした経験があったが、オーストラリア人4人とのシェアーは、オーストラリアで生活をしているということを改めて実感する良い経験となった。日本で生活をしていれば、一言、二言で分かりあえる事柄も、生活習慣の違い、言葉の表現方法の違い等から、自分の思うように意思の疎 通が取れないこともあった。伝えよう、理解しようという気持ちを持つことの大切さを改めて、再確認できた場でもあった。オーストラリアに来て、ここの彼女たちのようなバックグラウンドを持つ人たちと生活を共にするとは考えてもいなかった。
私よりも若い人たちが様々な理由で家に住めないということは、幼いながらも心に傷を抱いているのだろうということは感じた。精神衛生上、必要なだけの親の愛を受けているのだろうか? 考えれば切りがないが、彼女たちはいつも元気に生きていた。日本では体験できない場所に身を置くことができ、自分の中で再確認したいこと、新しく発見したいことなど、病院とは別の分野での学びの多い日常生活の場であった。
地理的な面からここの家を考えるとイナラという危険なイメージを持つ場所のため、 少しでも夜遅くなった時は、タクシーを使って家に帰ったことも多く、お金を消費する 機会が増えた。生活に必要なものを購入する際は、近くのスーパーマーケットですべて 賄うことができた。病院のスタッフの人たちと家が近いので、接触する機会を多く持て、 楽しい時間を過ごせた。
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