バンザイ・インターナショナル ワーキングホリデー専門店 ワーキングホリデーワーキングホリデーワーキングホリデー
当店ご案内会社概要問い合わせ申込方法サイトマップHOME
ワーキングホリデー・ワーホリ・語学留学・海外ボランティア・インターンシップなら専門店のバンザイ・インターナショナルへ!
ワーキングホリデープログラム
ワーキングホリデーを活かすプログラム
おすすめ語学学校
ワーホリ用・保険
個別カウンセリング予約
留学
海外ボランティア
体験談
海外から届いたメール
オーストラリア携帯電話
留学中のホテル予約は
〒158-0083
東京都世田谷区奥沢6-34-1 
内海ビル第二 4階
TEL:03-6273-0251 
FAX:03-5758-3359
Email:info@banzai-
international.com
〈チョンマゲ男のハッタリ・コメディアン挑戦記〉
河野順一
●出発から帰国までのスケジュール
1ヵ月目:英語学校で英語のレッスン(10週間)。NSW州立大学やシドニー大学で柔道を始める。バイクを買う(約10万円)
2ヵ月目:一軒家で4人で共同生活開始(オーストラリアの女性やハンガリー出身の男性、そして3年間世界を放浪している日本人の男性)
3ヵ月目:日本食の弁当屋で働く(時給5ドル)
4ヵ月目:コメディアンとしてステージに立つ
5ヵ月目:バイクでエアーズロックまで一人旅(50日間、15,000km)
6ヵ月目:製本工場で働く(日給50ドル)。警察の道場で子どもたちに柔道を教える(ボランティア活動)
7ヵ月目:バイクでシドニーの中心部までプロレス観戦に行く途中、車と衝突、2ヵ月の静養。
8ヵ月目:毎日、オーストラリア製の美味しいワインやビールを飲んで休養。
9ヵ月目:ゴングショーに出演、ステージでコメディーをやる(ワンステージ:50ドル)
10ヵ月目:車を購入(オーストラリア人の友人から約6万円)
11ヵ月目:車でオーストラリア大陸1周の旅に出る(友人と2人:70日間、23,000km)。
12ヵ月目:大陸1周の旅から戻り、ガレージセルとパーティーをしてから香港までの航空券を持ってアジアへ旅立つ。
その後:香港、中国、タイ、ミヤンマ、ネパール、マレーシア、シンガポールなどを旅してシドニーへ戻る。子供たちに柔道を教えながら4ヶ月間静養後、帰国。

●直接売り込む
オーストラリアに来て3ヵ月になる。英語も思うように伸びていない。そろそろ英語を覚えるために何か面白いことをやるか……。
翌日から、会う人ごとにコメディーに関してのことを聞きまくった。公園で休んでいる人に声をかけて、あるプロダクションを紹介してもらったこともあった。約100人くらいの人に「コメディーができる所はないか?」と聞きまくった。1ヵ月後、市内にコメディー劇場があることが分かった。
家に戻り、電話帳を引っ張り出して辞書を片手に1時間。やっと“Comedy Store”という文字が見つかった。
すぐ電話器に飛びついて、ダイヤルを回す。呼び出しのベルが「ブーウ、ブーウ」と鳴っている。そのとき、自分の英語力に気がつき急いで受話器を置いた。
直接行こう! それしかない。売り込むための小道具、名刺、英文の自己紹介文、そして、何かのときのための「チョンマゲ」をバッグの中に入れ劇場へと向かった。
劇場の入り口から中に入ると、女性は1人立っている。ミニスカートからスーっと伸びた足が色っぽい。彼女が何か話しかけてきた。しかし、さっぱりわからない。この際、相手の言っていることは無視して、自分の伝えたいことだけを言おう。身振り手振りで口から英語を出しまくる。結果、劇場のボスとマネジャーの名刺と電話番号を書いたカードを手に入れることができた。

●見習いを考えていたが…
翌日、指定された時間に電話をかけるが、話の内容がまったく理解できない。話し相手の顔が見えない耳と口だけの機械にムカツキを覚え受話器を置き、小道具とチョンマゲを持って外に出た。
劇場の中に入ると、昨日会った女性とボスが立ち話をしている。これはチャンスだと思い。彼の前にスーっと進み、ニコっと笑いながら名刺と自己紹介文を持って立つ。
「Hello . How do you do?…」
ボスが自分の名刺と自己紹介文を読んでいる。しかし、これではまだインパクトが弱い。バッグからチョンマゲを取り出すと、身振り手振りで売込みを開始。この攻撃にはボスも参ったとみえて、腹を抱えて笑いだした。ここまでくればこちらのもの。あとはいい加減な英語とハッタリ半分で話しまくった。
チョンマゲをつけての売り込みが良かったのか、ボスに気に入られ、翌日通訳を介して話し合うことが決まった。
次の日、3人が1つのテーブルを囲むような形で座り、明るい雰囲気の中で話し合いが進んだ。自分は当初、日本でいう見習いをやりながら英語とコメディーをやれればいいと考えていた。しかし、通訳の方から出た言葉はその予想とは全く違うものだった。「お前は個性的でおもしろい。ボスも大変気に入っている。テレビ局にも知り合いがいるから売り込むつもりらしい。それで、さっそくなんだが、1週間後、時間をあげるからステージの上で何かやってくれないか、とボスが言っているがどうだ?」と通訳の人が言った。
自分は売り込むことばかり一生懸命で後のことは何も考えてなかった。しかし、ここまで言われて引き下がるわけにはいかず。「Yes」と答えた。

●出し物は決まった
その後コメディー劇場に残って、勉強のためコメディーを見ていたが、ネイティブの英語がまったくわからない。周りの人たちは、大きな口を開けて笑っているが、笑うことができず、1人まじめな顔をして座っていた。
英語が分からない人が聞く英語のコメディーほど面白くないものはないと思った。1人でぼやいていても仕方がないので、ボスにこれから人に会う約束があると言って劇場をでた。
1つ深呼吸。頭の上に 100kgのもちを載せられたようで、頭も体も重くて疲れていた。家に戻り、シェア・メイト(同居人)のオリバーとジャネットにそのことを伝えた。家の中が大騒ぎになった。「ワンダフル、ワンダフル」。2人のはしゃいでいる様子を見ていると、頭のもちが120kgになってきた。
「もういいや、今夜はワインでも飲んで2人と一緒に騒ごう」そう思うと、頭の上のもちがどこかに消えた。
翌朝、ベッドの上でいろいろと考えるが、いい案が浮かんでこない。外に出てブラブラしていると、いつのまにか友人の家の前に立っていた。3人でコメディーのことについて話した。突然、アツシが言った。「立ちまわりをやったらどうだ? きまるとうけるぞ。俺は2年間、時代劇の立ちまわりをやっていたことがあるから、教えてあげるよ」「それでいこう!! チョンマゲもあるしね」
その日からステージで行うコメディーに備えて練習が始まった。庭の芝生の上で日本人が2人、まじめな顔をしておもちゃの刀を振り回す。そばを通りかかったオーストラリア人は不思議そうな表情をしてこちらを見ている。「なんでオーストラリアまで来て、おもちゃの刀を振り回しているんだろう」とときどき考えたが、考えても仕方がないので一生懸命に立ち回りの稽古をした。
1度、練習を兼ねて100人ほどのパーティーでドイツ人とコンビを組んでコメディーをした。しかし、結果は息が合わずに失敗に終わった。パーティーのあと、アツシと悪い点を修正しながら練習した。なんとか立ち回りだけはさまになってきた。それで、今度は司会者とやるコントを考える。自分がボケ役で司会者がそれに突っ込む形のコントだ。

●予想に反した青い目の反応
ステージに上がる日、朝から気合を入れるために500gのステーキと白い飯を腹いっぱい食べた。そして夕方、バイクで劇場へ向かう。
ステージの裏の楽屋で自分の出番を待つ。楽屋にはオーストラリア人とアメリカから来たコメディアンが5、6人いる。ラジオ局の人もインタビューに来ている。自分にもマイクを向けてきたので、日本語でジョークを言った。
とうとう自分の番がきた。司会者が自分のことを大げさに紹介している。
「よし、やるぞ!」と気合を入れたとたん、チョンマゲと頭を固定しておいたゴムがプチっと音をたてて切れた。このままではチョンマゲが落ちてしまう。バッグの中からラジオのイヤホンを取り出し、急いで頭とチョンマゲを固定した。そのとき、「ジャパニーズ・コメディアン。ジュンイチ・カワーノ…」と派手な前振りでコールされ、幕が開いた。柔道着にゲタ、そしてチョンマゲ、首の下にはイヤホンがブラブラ揺れている。
ステージに上がるなり、前回り、そしておもちゃの刀を抜いた。約160個の青い目が自分を見ている。日本とは違った何ともいえない雰囲気がそこにある。
刀を持っての立ち回り1分30秒が終わった。お客さんの反応は、途中何回か笑ってくれたものの、日本人が中国武道の舞いを見ているような真剣な目で自分を見ていた。これは予想していた反応とは違うなと思いつつ、英語のセリフを言った。反応は何もない。それどころか、みんな不思議そうな顔をしていた。ステージにいる自分には、その反応が何を意味するのか、すぐにわかった。お客さんは、自分の使っている言葉(英語のつもり)が、英語なのか、日本語なのかわからず、どのように反応していいのか迷っているのだ。
しかし、その中で2人だけ先程から腹を抱えて大笑いしている人がいる。アッシと日本からきた友達だ。2人は、ステージの自分とお客さんの反応を見て、大声を出して笑っている。「俺は本当に真剣なんだゾ!」と思いつつ司会者を呼んだ。その後、司会者がフォローしてくれ、自分をネタにしたジョークを言ってお客さんが笑っていたが、今回は失敗に終わった。

●ゴングショーで雪辱だ
その夜、悔しくて眠れず、4リットル入りのカクスワイン(ワインボックス)を持ってハーバーブリッジ(シドニー湾をまたぐ大きな橋)の上で深夜まで1人でワインを飲んでいた。眼下に広がるシドニーの夜景とワインが心を癒してくれた。
数日後、悔しさがエネルギーとなり、バイクでエアーズロックまでの1人旅に出る。内陸に入ると、青い空と赤い大地の間に1本の道が伸びている。1日300〜1000kmオーストラリアの内陸(アウトバック)をバイクで走った。民家やガソリンスタンドが400km以上もないことがあった。対向車と2、3時間すれ違わないこともあった。気温は、体温計で計れないほどに上がり、昼間の気温は45℃を超える。人気のない砂漠はでは、バイクが唯一の話し相手であり友達だ。ときどきバイクに「今日も一緒に頑張ろう」などと話し掛けながら地平線に向かって走った。
目的地のエアーズロック(高さ300m以上もある1つの赤い岩)に着いて5日目(シドニーを出て3週間目)、エアーズロックを眺めていて頭の中にこんなことが浮かんだ。「人間は大地に根ざしている。ここにはオーストラリアの自然があり、人となりがあるんだ。俺はオーストラリア大陸をまったく知らなかった。だから失敗したんだ。よし、シドニーへ帰ろう」
オーストラリア大陸を縦断する約1万5000kmの旅をして、シドニーへ戻ったのは出発して50日後だった。
ある日、以前売り込んでおいた芸能プロダクションから出演依頼の電話があった。ゴング出演に依頼の話が舞い込んできた。雪辱戦を兼ねてゴングショーに出演することにした。
今度は、日本人の友達とコンビを組み、あまり英語を使わずに侍の師匠と弟子という設定でコントをやった。約300人のお客さんが、自分たちのコントを見て大笑いしている。コントの途中でゴングを鳴らされたとき、客席から審査員に対してブーイングが起こった。すぐに審査員席から続けていいという「GO」のサインが出た。プロのダンサーやミュージシャンよりは得点は低かったが、自分たちのコントを見てお客さんが楽しんでくれた。
出演料は50ドルだった。
 

当店ご案内会社概要問い合わせ申込方法サイトマップHOME